TueDec 15th

それは何故かっていうと、新しいものを、文化を作っていく人っていうのは、絶対に、お金がない若者なのよ。お金がない若者が、新しい何かを作っていくから、お金がない若者が常にいる場所にしなきゃいけないとは思ってる。だからそのために、誰でも出入りできるような低い値段の設定にして。だから、パーティーやる時もタダだし。にしないと、こっちは企業で、向こうはただお金をとるためのお客さんってなっちゃうから。じゃなくて、なんか人材がそこから出てこないかと思って。それを、あの、狙ってます。
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本物を探せ・・・

自分の目で・・・

「本物」を見なければ回転しないッ!

ツェペリ家の掟は!

それが言いたいのでは・・・

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ウェブ・サービス事業者であるGoogleとしては、できるだけ他の部分をコモディティ化してネットにアクセスしやすくすることにより自分たちのビジネスを大きくしたいのは当然。

 その結果、Googleが選んだ戦略は、(1)Android・Chrome OSを無料で提供することによりOSをコモディティ化すること、(2)それらのOSがさまざまなCPUで動くようにすることによりCPUをコモディティ化すること、(3)政府にネットのオープン化を迫ることにより通信事業をコモディティ化すること、の三つである。

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MonDec 14th
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fav3110:

katarinax:

suigetusawa:

avycko9:

quawai:

seepassyouagain:

知りあいと食事をしたら、実に気持ちよさそうに二人前くらい平らげるので、そんなふうに食べてなんで太らないのかと訊いた。運動してるから、というあっさりした答えが返ってきた。もっともだ。
私は運動不足でおなかがぷよぷよして困っている、と言うと、彼はあっさりと、腹筋しろ、と言った。
彼は連日夜中まで働いているのに、帰宅後にきっちり筋力トレーニングをしているのだという。
どうしてそんなことができるのか。めんどくさくないのか。今日はまあいいやとか思わないのか。

「そりゃめんどくさいよ。だから仕事の一部だと思えばいいんだ。仕事は行くだろ、とりあえず」
行くよ。それが当たり前っていうか、しょうがないからね。

「しょうがないからでいい。筋トレなんて、あんなもん楽しくなることはたぶん永遠にない。でもほかにもしょうがないからやってるものはいくらでもあって、わりと平気でこなしてるじゃないか」
そりゃそうだ。

「仕事して給料もらう。筋トレして体力と今よりマシな見た目を買う。あなたは腹筋割りたいわけじゃないよな、ぷよぷよじゃなくなればいいんだろ。じゃあ一日十分の正しいトレーニングを二ヶ月もやればウエストなんて綺麗にくびれる。労働の対価としては悪くないと思うけど」
そう言われてみれば、悪くない気がする。

「それに、やってればそのうち慣れる。あのさ、歯磨きってめんどくさい?」
え?いや、歯磨きはしないと気持ち悪いよ。別に楽しくもないけど。

「短時間の日課っていうのは、うまく訓練すればそのうち歯磨きレベルになる。身体使うものじゃなくても、朝ちょっと英語やるとか。
俺は思うんだけど、そういうとき理屈はたいして役に立たない。理屈で納得したから毎日やるなんてやつはそんなにいない。何でもいいからとにかく毎日やってればそのうち毎日やるのが平気になる。つまり俺が俺に命令して問答無用で毎日やらせる」

「あなたみたいな人は、考えないで何かに従うことにアレルギーがあるんじゃないかと思うけど、ある種の強さっていうのは、考えないで従う奴隷根性っていうか、三等兵っぽい気分っていうか、イエッサー!っていうか、そういうのがないと手に入らない。
俺は奴隷根性が強いから、わりとしょっちゅう『あー俺はなんて頭悪いんだ。そういえばあれもこれもそれも考えないで生きてきた』とか思うんだけど、そういうのが全然ないのも不便だろうと思うよ」

身につまされる

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SunDec 13th

ネット情報を活用したイラン報道は、米国で議論を呼んでいる。New York Timesは29日付けの記事で、「Journalism Rules Are Bent in News Coverage From Iran」と題し、イランに関する報道は、ソースを確認して掲載するというジャーナリズムのルールを変え、TwitterやYouTubeなど、ネットに公開された情報をまず報道し、その内容を読者に検証してもらう――というスタイルが生まれていると紹介。報道規制がしかれた国の情報を個人が引き上げ、世界に伝えるという流れが生まれている。
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そしてそこに実は気をつけるべき点がある。集合知とか「みんなの意見」というと、何かそういう意見や知識が自然に実体的に存在するような印象を持ちやすい。でも実は「みんなの意見」は、かなり高度な手法でだれかが作り上げるものだ。自然に生まれる合意のようなものではない。その意味で、個人的にはこの種の集合知を民主主義とつなげて論じるありがちな議論に、少し疑問を抱いている。

 たとえば「集合的にベストな意思決定は意見の相違や異議から生まれるのであって、決して合意や妥協から生まれるのではない」(p.18)と本書は言う。意見集約には投票すべきなのだそうだ。でも、何でも投票で片付けて少数意見を切り捨てるのが民主主義ではないのも当然だろう。妥協と合意のない政治などあり得ない。その意味で著者の言う集合知や「みんなの意見」は、実は究極のところで民主主義とは似て非なるものなのかもしれない。その「意見」が集約され、作り上げられるプロセスには、ものすごく警戒が必要なはずなのだ。

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「バーチャルなキャラによる政治家がいてもいいじゃない」――濱野さんは、「キャラクラシー」(キャラクター民主主義)を提案する。イデオロギーが似た人たちが、初音ミクのようなバーチャルなキャラクターを共同で作って政治家にし、自らの声を政治に反映させようというものだ。
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そうすると、かつて芸術が宗教に奉仕することが多かったように、現代の芸術やアートも、もう少し宗教的な立場を意識的に取るべきじゃないか。現代の人と物質界/世界との関わりの限界を体現するにはどうしたらいいか、それを考える――という以前にそもそもその限界や今の神のあり方というものが何なのかくらい勉強する手間を惜しんじゃいけないだろう。超ひも理論や量子重力理論と張り合い、脳科学や情報理論と歩みを共にし、行動経済学や合理的期待形成論を体現するような芸術やアートを作らなきゃいけないんじゃないか。
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SatDec 12th
(via papertissue)
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